設立趣意
すでにご承知のとおり、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(以下「障害者差別解消法」)は、2013年5月には衆議院本会議で、またその6月には参議院本会議で(附帯決議も含めて)可決され、6月26日に公布された。続いて12月4日には、条約批准の承認案が国会で正式に採択され、そして2014年1月20日、日本政府は国連の障害者権利条約に批准し、その2月19日から発効した(障害者差別解消法の施行は、2018年4月1日)
障害者の基本的人権の享有を確保し、障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的として、障害者の権利の実現のための措置等を定め、障害者の平等と社会への完全参加を求め、「Nothing about us, without us!」を、いわば合言葉にしての同条約は、2006年12月13日に国連総会で採択され、我が国は2007年9月28日、高村正彦外務大臣がこの条約に署名している。私どもは、2001年12月9日(障害者の日)に、「障害者差別の禁止」という理念と目的を共有する多くの団体と共に「障害者差別禁止法(JDA)を実現する全国ネットワーク」を結成し、同様な活動を展開しているJD、JDF、日弁連、DPI日本会議ほか主要団体と連繋しながら広範な運動を展開してきた。2009年11月24日にはJDAとして鳩山由紀夫総理大臣を官邸に訪ね、「障がい者制度改革推進本部の立ち上げ」、「国連の障害者権利条約の早期批准」、「障害者差別禁止法の早期成立」を骨子とする要望書を直接お渡しした。鳩山総理は直ちに(二週間後の12月8日に)ご自身を本部長として「同本部を設置する」旨の閣議決定をされた。私も、「差別禁止部会」の副部会長の重責に任ぜられ、2010年11月から2012年9月まで、延べ25回、100時間を超える真摯な議論に参画した。その結果、全会一致による詳細な『意見書』を、棟居快行部会長、東俊裕担当室長他と共に中川国務大臣に提出した。改めて、ここに至るまで尽力された先達や同志に深甚なる敬意を表したい。
私事ながら、「決して、恩恵のために自由を、慈善のために尊厳を捨てることはしない」と心に銘じ、「人間に無能力者はいない、あるのは能力者だけだ」を信条に、「保障よりも働くチャンスを」の綱領を掲げ、(非力を顧みず申せば)不合理な社会的障壁と根深い差別に対して、今日まで闘い続け、そしてまだ途上に在る。障害のある人たちが、国家や社会の慈善や恩恵と庇護の中で生きていくことが前提となっているような社会は、本来の社会ではない。すべて人は固有の権利の主体であり、保護される客体ではない。従って自由な選択と自己決定を通じて人生を享受していくことは当然過ぎるほど当然である。だが実際は、語りきれないほどの様々な理由によって、社会から否定され自己の権利の回復の主張どころか、その実情さえ訴えられずにいる人が少なからずいるのが厳然たる事実である。その観点からいえば、この「障害者差別解消法」は、また「障害者の権利条約」の批准は、確かに画期的であり、高く評価はしている。しかし、合理的配慮提供の実効化及びガイドライン作りや地方公共団体での条例作り等への懸念、社会への理解・啓発の促進など、喫緊の課題が山積していることを思えば、まだ橋頭堡を築いただけでしかない。理念は、現実の暮らしの中で具現化されて初めて意味がある。その認識の下、個の尊厳と自立の精神に基づき、だれもが障害の有無で分け隔てられることなく、また、いわれなき差別も偏見も解消された真の共生社会の実現を目的として、ここに標記一般社団法人を設立するものである。
2014年9月吉日 設立準備会を代表して 伊東弘泰